2012年4月5日木曜日

83;ギュンター・グラスのイスラエル批判散文詩で議論沸騰/翻訳追加

昨日4月4日の朝、「南ドイツ新聞」の一面を見るとトップにギュンター・グラス氏の写真があり、短く「叫び声/ギュンター・グラスがイランとの戦争を警告した。→『語られるべきこと/Was gesagt werden muss』と題する詩で、このノーベル文学賞受賞者は、イスラエルはドイツの潜水艦の供与をこれ以上受けてはならないと要求した」とあり、文芸欄にその詩が掲載してありました。この詩は同日付けでイタリアの→「ラ・レパブリカ」、スペインの→「エル・パイス」、またアメリカの「ニューヨークタイムス」の各国の中道左派紙にもご覧のように同時公表されました。(「NYタイムス」には結局掲載されなかったようです。何か事情がありそうです)

2012年4月4日「南ドイツ新聞」一面と文芸欄の詩
むしろ散文詩といえる作品ですが、一読してこれは大変な論争になると思っていると、昼頃から各紙電子版、ラジオ、テレビで早速、喧々諤々の大騒ぎになりました。連邦政府の定例記者会見でもスポークスマンに質問が飛びました。テーマからしても、また各国語で紹介されたので、論議はおそらくドイツを超えるものになることは必至です。初日の4日は主に親イスラエル側からの非難の飛礫(つぶて)が集中しています。これからご本人である84歳の作家を脇目に激しく毀誉褒貶の議論が飛び交うでしょう。メディアを舞台にした容赦のない論争が民主主義を鍛えるのです。

それはともあれ、何よりも核心には、文字通りの核問題と、それを巡る戦後ドイツの歴史認識があります。そこで翻訳専門家でもないわたしですが、とりあえず以下の原文に沿って、明日にでもあえて訳出してみましょう。訳文はしばらくお待ちください。
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(2012年4月5日 追加)さて、以下のように訳出しました。この作家らしい、強烈に政治的な叙情散文詩ともいえ、翻訳にはなかなかの難物でした。はっきり言って文学作品としてはいただけませんが、内容の厳しさはさすがにグラスです。
できるだけ原文に近い訳を試みていますが、背景の政治情勢の知識なしには理解が難しいとおもいますが、それはやむを得ません。いずれ簡単な訳注、ないしは解説を書きたいと思います。なを、原文は訳文の後に添付してあります。

読者のみなさまに、ひとつお願いがあります。わたしはこのノーベル文学賞作家の作品の翻訳権を持っているわけではありませんので、みなさまにはここで読んでいただくだけ、あるいは紹介をしていただくだけにして、一部引用はともかく、決して全文の転載やコピーをしないでいただきたいのです。
この点、よろしくお願いいたします。いずれ翻訳権のある専門家の方のもっと優れた訳がでるでしょう。

今日のプリントメディアの圧倒的な非難に対し、グラス氏はさっそく、→公共第一放送ARD→公共第二テレビZDFとのインタヴューにそれぞれ応じて余裕たっぷりに反論しています。そしてARDでは「南ドイツ新聞」を手に詩を朗読しました。
 イスラエルとドイツ両政府は、この頑固親父に手痛い一発を喰らわされたようです。

簡単に、わたしのコメントを付け加えますと、グラス氏は高齢になっても、やはり名作『ブリキの太鼓』の主人公オスカーであるということです。言葉の太鼓を叩いて、あたりの神経にさわる強烈な叫び声に我慢のできない人々が多いでしょう。イスラエルのネタ二エフ首相も、痛いところを突かれたことに耐えかねて悪口を述べる失敗をしたようです。メルケル首相はイースターの休暇で不在で、知らんぷりを決め込んでいます。こちらの方がお利口ですが、まずいことになったと内心考えていることでしょう。

ちなみに、この詩で槍玉に挙がっているドイツの中距離核弾頭装填可能な→ドルフィン級潜水艦は、これまで3隻がイスラエルに供与されており、今年中にさらに2隻の供与があり、もう1隻供与計画が最近議論されています。経費は合計で約12億から20億ユーロ(およそ1300から2200億円)で、ドイツの国庫負担であると報道されています。
また、イスラエルが1960年代から南アフリカの協力で開発した核弾頭の数は、100から500までの諸説がありますが、ドイツのある研究機関はこれまででおよそ200から300であるとしています。これらを念頭にお読みください。言い訳のできない歴史の傷を持つ老作家の懸念が理解できるとおもいます。

追加;イスラエルによるグラス氏の入国禁止措置と、その背景にある彼の武装親衛隊告白の件は、続きの第84回をご覧下さい

  

  語られるべきこと 

    ギュンター・グラス  

 
なぜわたしは黙っているのか、
長すぎる隠し立てをするのか、
それが明らかであり、図上演習がおこなわれ、
その結末には生き残ったわたしたちが
せいぜい脚注でしかありえないことを

それは主張される先制攻撃の権利だ、
ひとりの口先だけの英雄に屈服さされて、
組織された歓喜へとかどわかされる
イラン民族を殲滅しえるそれだ
なぜなら、かれらの勢力圏に核兵器製造が
推定されるとされるからだ

とはいえ、わたしはなぜ自らに禁じるのか、
かの別の国を名指すことを、
そこではー秘密にされているとはいえー
長年蓄積された核の潜在能力が手中にあり
しかし誰も査察に入れないため
管理の枠外にある国を

そんな事実構成要件の世間一般の隠し立て、
わたしの沈黙もその下に従属させたが、
これを、わたしは負担になる嘘と強制だと感じる、
これが無視されればたちまち
突きつけられる罰:
「反ユダヤ主義」との糾弾はおなじみだ

しかし今、比較ができないような、
独自な犯罪のわたしの国から、
何度も何度も求められて、論議され、
またもや、ただ事務的に、能弁な口元で
補償履行であると称されて、
その特性として何もかも破壊する弾頭を
一発の核兵器の存在も証明されていない場所へと、
危惧こそが証拠能力であると望めば、誘導できるような
一隻の潜水艦が、またもやイスラエルへと
提供されるべきだとされる今、
わたしは語る、語られるべきことを

しかし、なぜわたしはこれほど長く黙っていたのか?
なぜなら、決して消せない恥辱にまみれたわたしの出自が、
禁じるのだと考えたからだ、
この事実を、まぎれもない真実として、
わたしが恩義に思い、そうあり続けたいと願う、
イスラエルの国へ期待することを

なぜわたしは、今初めて語るのか、
老いぼれて、最後のインクで;
核大国イスラエルが、それでなくても危うい
世界平和を脅かすからなのか?
なぜなら、明日にはすでに遅すぎるかもしれないことは、
語られるべきであるからだ、
また、わたしたちがー充分に重荷を負うドイツ人としてー
予想できる犯罪の配達人になりうるからだ、
わたしたちの共犯同罪を、ありきたりの言い訳で
消すことなどはありえないからだ

そして認める;わたしはもう黙らない、
わたしは、西側の偽善に嫌気がさしているからだ;
これに加えて望みたいのは、
大勢が沈黙から自由になり、予見できる危機の責任者に
暴力の放棄を迫り、同時に国際機関により、
イスラエルの核の潜在能力とイランの核施設の妨げのない、
永続する管理を、両国政府が承認するよう根気よく要求することを

そうしてのみ、イスラエル人とパレスチナ人のすべてが、
さらに、狂気に占領されているこの地域で
密集し、敵対しながら生きているすべてのひとびとが、
そしてついには、わたしたちみなが助かるのだ

            (翻訳;梶村太一郎)

   Was gesagt werden muss   

   Von Günter Grass          

Warum schweige ich, verschweige zu lange, 
was offensichtlich ist und in Planspielen
geübt wurde, an deren Ende als Überlebende
wir allenfalls Fußnoten sind.
Es ist das behauptete Recht auf den Erstschlag,
der das von einem Maulhelden unterjochte
und zum organisierten Jubel gelenkte
iranische Volk auslöschen könnte,
weil in dessen Machtbereich der Bau
einer Atombombe vermutet wird.

Doch warum untersage ich mir,
jenes andere Land beim Namen zu nennen,
in dem seit Jahren - wenn auch geheimgehalten -
ein wachsend nukleares Potential verfügbar
aber außer Kontrolle, weil keiner Prüfung
zugänglich ist?

Das allgemeine Verschweigen dieses Tatbestandes,
dem sich mein Schweigen untergeordnet hat,
empfinde ich als belastende Lüge
und Zwang, der Strafe in Aussicht stellt,
sobald er mißachtet wird;
das Verdikt 'Antisemitismus' ist geläufig.

Jetzt aber, weil aus meinem Land,
das von ureigenen Verbrechen,
die ohne Vergleich sind,
Mal um Mal eingeholt und zur Rede gestellt wird,
wiederum und rein geschäftsmäßig, wenn auch
mit flinker Lippe als Wiedergutmachung deklariert,
ein weiteres U-Boot nach Israel
geliefert werden soll, dessen Spezialität
darin besteht, allesvernichtende Sprengköpfe
dorthin lenken zu können, wo die Existenz
einer einzigen Atombombe unbewiesen ist,
doch als Befürchtung von Beweiskraft sein will,
sage ich, was gesagt werden muß.

Warum aber schwieg ich bislang?
Weil ich meinte, meine Herkunft,
die von nie zu tilgendem Makel behaftet ist,
verbiete, diese Tatsache als ausgesprochene Wahrheit
dem Land Israel, dem ich verbunden bin
und bleiben will, zuzumuten.

Warum sage ich jetzt erst,
gealtert und mit letzter Tinte:
Die Atommacht Israel gefährdet
den ohnehin brüchigen Weltfrieden?
Weil gesagt werden muß,
was schon morgen zu spät sein könnte;
auch weil wir - als Deutsche belastet genug -
Zulieferer eines Verbrechens werden könnten,
das voraussehbar ist, weshalb unsere Mitschuld
durch keine der üblichen Ausreden
zu tilgen wäre.

Und zugegeben: ich schweige nicht mehr,
weil ich der Heuchelei des Westens
überdrüssig bin; zudem ist zu hoffen,
es mögen sich viele vom Schweigen befreien,
den Verursacher der erkennbaren Gefahr
zum Verzicht auf Gewalt auffordern und
gleichfalls darauf bestehen,
daß eine unbehinderte und permanente Kontrolle
des israelischen atomaren Potentials
und der iranischen Atomanlagen
durch eine internationale Instanz
von den Regierungen beider Länder zugelassen wird.

Nur so ist allen, den Israelis und Palästinensern,
mehr noch, allen Menschen, die in dieser
vom Wahn okkupierten Region
dicht bei dicht verfeindet leben
und letztlich auch uns zu helfen.

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