2012年1月1日日曜日

60;今年を原発ゼロ元年に;二河白道と「文殊菩薩の恥」

日本の、そして世界各地のみなさま、新年あけましておめでとうございます。
原発震災の後、昨年の5月にこのブログを開設して以来、多くのみなさまに読んでいただき感謝いたしております。本年もよろしくお願いいたします。

 昨年を回顧すると、信仰心とは全く無縁な衆生のひとりであるわたしも、日本の仏教画の二河白道図を思います。そのひとつのこれは、京都の龍谷大学;

 
そこにある解説には;
旅人前に水と火二河に挟まれた細い白道が東西に連なっている寂寥とした曠 に頼るべき人はなく群賊悪獣が旅人を殺そとしている人は二河に直面し引き返してもとどまっても前進しても死を免れない絶望境地に陥 るが東岸から道を行けと勧める声を西岸からは汝一心正念にして直ちに来たれ我よく汝を護らんと喚ぶ声を聞くこれによって旅人は決心し 白道を踏み進みついに西岸に到達することができたである
二河白道図は獲信から往生に至るまでの様子を表したものとして浄土諸宗の信仰鼓舞のため活用された。

とあります。

大震災と大津波、まさに天災で火と水に襲われ、生きとし生けるものの膨大な命が失われました。それだけではありません、かろうじて生き延びたひとびとと自然を、最短でも数世代にわたる放射能という人災が襲っています。
これは日本が歴史上体験したことのない絶望の境地といえましょう。人災がまき散らしている放射能は群賊・悪獣などより質が悪いからです。人間だけでなく自然へのおびただしい犠牲はもはや不可避です。人間のこのような自己と無辜の自然への仕打ちをわたしは深く恥じます。

このような人間の愚かさを、哲学者ギュンター・アンダースはまだ核兵器が出現する前に「プロメテウスの恥」と呼び、後に最も厳しい核時代の批判者となりました。わたしは日本の原発事故に際して「文殊菩薩の恥」と呼びます。

原子力発電技術の中でも最も危険が高い高速増殖炉を「もんじゅ」と僭称して恥じない日本人に仏様たちは、はたして白道を示し、導いて護ってくださるでしょうか。そうであればありがたいことですが、まずは厳しく罰せられるでしょう。文殊菩薩も普賢菩薩も、僭称の傲慢さを深く怒っておられるに違いないからです。

救いの白道を見つけるためには、わたしたちは自らの愚かさに恥じ入り、まずは「もんじゅ」以下の原発と、また最大の核施設である六ヶ所の再処理施設を廃棄しなければなりません。これが実現できるのは、決して政治家ではありません。日本の住民だけです。市民の決意と意思表示の行動だけが、それを可能にするのです。

いま、恥知らずの原発村と永田町の官僚や政治家を恥じる多くの市民が、全国で命と自然を守れと立ち上がっています。そのひとたちが歩いて踏みしめる細い道こそが二河白道へ通じるのではないでしょうか。

今日の2012年の元旦の年賀メールで送った、わたしの家族の写真には、「原発ゼロ年2012・元旦」とあります。わが家のネコも一緒に原発全廃を叫んでいます。

そうなのです。未曾有の絶望状態にある日本ですが、今年中にすべての原発を停止させる可能性は大いにあります。
それを邪魔する勢力は市民の力で徹底的に批判しましょう。原発村の官僚と政治家を公職から追放しましょう。「原発なしには電力不足で経済破綻」などとの大嘘の宣伝をするメディアなどはつぶれてもらいましょう。

そうなれば、ドイツより10年早く全廃を実現し、世界中が驚き、今度はメルケル首相がびっくりする番です。もちろんドイツ市民は賞賛の声を惜しまないでしょう。日本の市民には、その力があるとわたしは信じています。

友人読者のみなさま、今年を日本の原発ゼロ元年とする声を世界中で挙げましょう!

    2012年 原発ゼロ年 元旦










 

2 件のコメント:

  1. あけましておめでとうございます。
    今年も梶村様のブログを拝読させていただきたく存じます。今年を原発ゼロ年としたいものです。

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  2. 読者のみなさま、今年もよろしくお願いします。
    ひょっとしたらく気づかれた方もあるとおもうのですが、クリスマス休暇で帰宅した息子にたのんで、年末にパソコンを新調しました。考えてみたら前のラップトップは6年か7年前のもので、最近のネットには全くついていけない旧式でした。
    たとえば、ここで皆さんに簡単にお返事差し上げるのも、どういう訳かできず、そもそも表紙の右側の読者登録の欄も表示がされていなかったのです。新しくなってやっと見えました。失礼しました。

    よくデジタル世代とアナログ世代といわれましたが、最近ではデジタル原住民/Nativとデジタル移民/Emigrantという言葉があるそうです。わたしのようなデジタル世界に遅れてきたものは、移民と同じで一生懸命適応しようとして、追いつけないとの意味で使われるとのことです。それを息子に話したら「そうなんだけど、あたらしい差別用語として使われているのが問題だ」と教えてくれました。ナルホド。

    とまれ、パソコンの機能だけは追いついたようですので、デジタル移民としてゆっくりと使いこなせるように努力いたしますので、よろしくお願いいたします。

    とにかく今年は日本の原発ゼロ元年を目標にがんばりましょう。

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