2011年9月17日土曜日

32:北斎とセシウムと文殊菩薩(2)セシウムを喰らう染料

http://www.seilnacht.com/Lexikon/preuss2b.より転載
さて、9・11には、ベルリンに平和の青い折り鶴(第30)まで登場し、これはベルリーナーブラウの姿を期せずして見せてくれたのかもしれません。というのは、この青い染料は今でもいたるところに使用されており、明るい青の折り紙にも普通に使われているからです。
先にも書きましたように、葛飾北斎の1783年の「富岳三六景 」にもこれを版画の顔料として豊富に使っており、この顔料なしには彼の傑作も生まれなかったでしょう。しかも非常に安定しているため色彩も当時からほぼ変わっていないといわれています。左のある百科事典からの転載写真がこの染料です。


文末に参考となるサイトを紹介しておきますが、この染料は1706年にベルリンのヨハン・ヤコブ・ ディースバッハという染料製造職人が、当時は非常に高価だったカイガラムシから得られるえんじ色の染料の合成をミョウバンなどと煮詰めて合成している時に、必要な炭酸カリウムが不足し、同僚が油脂の除去に使った汚れた残りをそれとは知らず使ったところ、赤ではなく濃い青が沈殿したのです。つまり偶然により発見されたのです(1、2)。

それまでは明るい青の顔料は瑠璃などの黄金より高価な天然鉱物の粉末しかなかったものですから、これは錬金術師も顔負けの大発見であったといえるでしょう。しめたとばかり、ディースバッハさん、製法を極秘にして、さっそく需要の多い当時のメトロポールであったブルボン王朝はパリに進出し製造を始め大成功したようです。
ところがまだ特許権がなかった悲しさか、1726年にはイングランドの競争相手がほぼ同じ製法を見つけ、原料も安価なため価格が大暴落し大量生産となったとのことです。それを中国の商人が大量に輸入し、その一部が平戸経由で日本に入ってきたとのことです。だから、当時の浮世絵版画師の中では例外的な開明派の北斎もふんだんにこの顔料が使えたのです。鎖国の日本の北斎もちゃんと当時のハイテク商品と経済のグローバル化の恩恵を受けていた一例といえましょう。

さて、発明者の故郷のプロイセンでは、この安価となったこの染料を軍服に使ったため、一般にはプロイセンブラウ(独)、プルシアンブルー(英)と通称されるようになりました。いわばプロイセン軍国主義の象徴的な色となったわけです。フリードリッヒ大王からビスマルクまで軍服はこの鮮やかな青でした。万年筆の青インクはいまでもこれが使われているとのことです。
ヴィキペディアより転載
余談ですが、この絵は1871年1月18日、普仏戦争で勝利しパリを占領したプロイセン軍がヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の建国を宣言したときの様子を描いたものです。ナポレオン戦争から始まり第二次世界大戦終結まで続いたフランスとプロイセンの長い対立の一幕です。壇上のヴルヘルム1世などは青の軍服を着ていますが、真ん中に立っているビスマルクは白の軍服です。ところがこれは史実ではなく実際には彼もやはり青の軍服であったそうです。
北斎展をちょうど夏休みにベルリンの文書館で研究中のドイツ史の芝健介教授を、古文書の山の中からさそいだして一緒に観たのですが、その後、ベルリーナブラウに話が及んだとき、教授からそのことを聴きました。同じ青にするとビスマルクが目立たないから画家が白の軍服にしたそうです。笑うべき史実の改竄ですね。(この絵を観ていると、後にゲーリングが似たような白の元帥服を着て威張っていましたが。ひょっとしたらこの絵のビスマルクの真似をしたのではないかと疑われますね。これこそナチスの研究者である芝教授に訊ねる質問です)

そこで、わたしの方からは「このベルリーナブラウはセシウム137を喰らう染料である」との話をしました。教授は「これは奇想天外な」と驚かれていました。その通りですが、これは事実です。
 わたしがこれを知ったのは、福島事故が起こってしばらくした3月22日のディツァイト紙の電子版報道によってです。
「薬品としての『プロイセンブラウ』で放射性セシウムに対抗/有名な染料は体内のセシウム137を吸収する。放射能汚染を防ぐことはできないが、しかし被害と病を縮小できる」との見出しで、ベルリンの薬品会社のその名もずばり「ベルリーナーブラウ」というセシウム解毒剤についてくわしく紹介してあります(3)。





セシウム解毒剤「ベルリーナブラウ」Heyl社のホームページより転載
この写真はそのハイル社のホームページ(4)から転載しましたが、調べてみるとこの薬品は、ドイツとアメリカに続き、昨年10月から日本でも厚生労働省により試薬として厳しい管理の下で(全例調査の実施を条件として)使用が許可になっているとのことです。すでに日本でも製品としてあるとのことです。次の写真にある「Radiogardase」という商品名です。
詳しいことは、放射線医学総合研究所の緊急被ばく医療センターの注意書きをご覧ください。
ここのプルシアンブルー使用に関する注意のPDFを参照;
http://www.nirs.go.jp/information/info.php?i5

放射線医学総合研究所のHPより転載


この薬品の要点は「(ヨード剤のように)あらかじめ服用しセシウム被曝を予防することはできないが、大量に体内被曝した際には服用によりかなりのセシウム137を取り込み体外に排泄する効果がある」とのことです。当然排泄物も青となるそうです。
同報道によれば、同社のこの薬品は先に紹介した1987年のブラジルの ゴイアニアの汚染事故(第25、26で報告)の際にすでに使用されたとのことです。

さらに、体内被曝だけでなくベルリーナブラウは、体内被曝だけではなく土壌のセシウム除染に活躍しそうです。ちょうど北斎展が始まった8月末にNHKも以下のように伝えています(すでにネットでは読めないので全文を挙げておきます):
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“新技術でセシウムを除去”
8月31日 21時23分 NHK

土壌に含まれるセシウムだけをより分け取り除く新しい技術を開発したと茨城県つくば市の産業技術総合研究所が発表しました。汚染土壌の表面を削り取る方法に比べて廃棄物の量が大幅に少なくなるということです。

発表したのは茨城県つくば市にある産業技術総合研究所の川本徹研究グループ長らのグループです。この技術は、土壌に含まれるセシウムを低い濃度の酸で抽出したあと、顔料に吸着させるもので、99.5パーセントのセシウムを取り除くことができるということです。東京電力福島第一原子力発電所の事故で広がった放射性セシウムに汚染された土壌への対策として、現在、表面を削り取る方法が主に行われていますが、削った土壌の廃棄方法が課題となっています。研究グループによりますと、この技術はセシウムだけを分離するため、表面を削り取る方法に比べて、廃棄物の量がおよそ150分の1と大幅に少なくなるということです。川本研究グループ長は「廃棄物の量が少なくなるのが最大の特長です。低濃度の酸で抽出するため、土壌に与えるダメージが少ないのもメリットです」と話していました。研究グループは、今後、さらに技術改良を進め、企業の協力を募ったうえで福島県などの土壌を使った実証試験を行い、実用化を目指したいとしています。
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ここにある「顔料」がベルリーナブラウです。

その他の報道と、産業技術総合研究所の詳しいプレスリリースは以下の(5、6)を参照して下さい。
そもそも、セシウム137は自然界にはほぼ存在しない放射線物質です。人間が核技術によって作り出し、核実験と、原発が事故により「汚い巨大な核爆弾」と化したことにより、膨大な汚染で人間だけでなく生きとし生きる動植物の遺伝子に襲いかかっているのです。
福島の避難地域に置きざれにされている多くの動物や家畜たちもベルリーナブラウで命が救えるかもしれないと思うのです。飼い主が避難し路頭に迷っている牛たちも保護して、汚染のない飼料とともにこの薬品を与えれば、青い大小便でセシウムを排泄しまた健康体になるのではないかと思います。

本当の被害者はこれから生まれて来る生物の次の世代なのです。これは人類史上最悪の人間による「自然に対する犯罪」です。
20世紀が生んだこの罪悪から誰ひとりとして逃れることはできないのです。しかしこれは断じて宿命ではありません。

(この項続きます。次は「北斎と文珠菩薩」です)

(1)ベルリーナブラウについてのヴィキペディア:
http://de.wikipedia.org/wiki/Berliner_Blau

(2)同日本語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%BA%E9%9D%92

(3)ディ ツァイト紙電子版報道
http://www.zeit.de/wissen/gesundheit/2011-03/Medikament-Caesium-Strahlen

(4)ハイル社/ベルリンのHP
http://www.heyl-berlin.de/index.php?details=heyl/pharma_antidota

(5)プルシアンブルーを利用して多様な形態のセシウム吸着材を共同開発
http://www.eco-front.com/news_RiwKIm0ly.html

 (6)産業技術総合研究所プレスリリース
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2011/pr20110824/pr20110824.html

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