2011年8月8日月曜日

18:ヒロシマ忌に寄せて:世界共通語のヒバクシャと日の丸

  昨日6日のヒロシマ原爆忌については、ドイツでも早朝からニュースでかなり詳しく伝えられました。もちろんその主な内容は記念式典でほ菅総理が脱原発依存に踏み込んだ追悼の辞を述べたことです。
 いくつかの代表的な電子版を紹介しましょう。

これはドイツ公共第一テレビの第一報です:
http://www.tagesschau.de/ausland/hiroshima158-magnifier_pos-1.html
ここでタイトルに使われているdpaのヒロシマからの反原発デモの写真のキャプションは、
「追悼に混じる怒り:66年前の原爆投下の追悼での原子力発電への抗議:
Unter die Trauer mischt sich Wut: Proteste gegen Atomkraft beim Gedenken an den Atombombenabwurf auf Hiroshima vor 66 Jahren. (Foto: dpa)」となっています。

シュピーゲル誌の電子版:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/0,1518,778708,00.html
同誌の電子版の写真は画質もよく多岐に渡ることで世界でも上ランクですが、ここでも前日の朝鮮人被爆者の追悼の写真も含めて12枚を掲載しています:
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-71292.html

本日7日には、東京での6日脱原発デモで逮捕者がでたとの情報が市民運動から伝わってきました。
さっそくYu Tube での逮捕時の映像(例えば: http://t.co/GHUkRou  )を見ますと、これでは警察官のデモであるようなので呆れました。市民の平和な抗議行動、憲法で保障された基本権を敵視しているとしか言えない酷いものです。
ベルリンでは毎週のようにありとあらゆる大小のデモが行われ、時には逮捕者もでますが、このような平和的なデモ参加者を逮捕したら、警察は間違いなくメディアから袋だたきに遭います。それでも過剰警備が起こりデモ隊に負傷者が出て、警察官が罰せられるケースがあります。そこでベルリンではドイツで初めて、警察官に名札あるいは番号を制服に付けることが先月から義務づけられました。警視庁の警察官にも義務づけるべきでしょう。警察官の振る舞いはその社会の民主度のバロメータのひとつです。
ちなみに、ドイツでは当然ですが警察官の労働組合もちゃんとしており、彼らも待遇改善などでデモを行います。

さて、フクシマの事故で、ようやく日本でも「原発事故による被曝と原爆による被爆が同じことである」との認識が定着しつつあります。そのとおりで世界では放射能被害者はすべて「ヒバクシャ」なのです。
被爆と被曝の区別はありません。
この写真を見て下さい。
2011年4月9日ベルリンIPPNW国際会議
これは今年4月初旬にベルリンで開催されたノーベル平和賞受賞団体「核戦争防止国際医師会議(通称:反核医師の会)・IPPNW」の反核国際会議でのものです。
大きな舞台の脇に「HIBAKUSHA」が出た世界中の主な地名と国名が列記されています。
上からウラン採掘鉱山、核兵器(核実験と原爆投下)、原発など原子力施設の地名が色分けして列挙されています。
ヒバクシャが世界中に存在していることが示されていますが、日本の地名はHIROSHIMA,NAGASAKI,TOKAIMURAに加えて、すでにFUKUSHIMAが挙げられています。

ここにひとつだけ挙げられているドイツの地名、WISMUT・ヴィスムートというのは、旧東ドイツのウラン鉱山の地名です。ここは、第二次世界大戦直後、ソ連邦が占領しウランを採掘しました。ソ連の最初の核兵器はここのウランから製造されたといわれています。
1990年の冷戦終了まで鉱山は営業され、多くのヒバクシャが出ました。鉱山労働者だけでなくこの地域一帯がラドンなどで汚染され、一般市民も平均寿命が低下するなどの現在に及ぶ長期的被害を受けています。
わたしもドイツ統一後に、ここの抗内に入ったことがありますが、鉱山そのものよりも地域の環境汚染の凄まじさに息が詰まる思いをしました。
統一後にドイツ政府は膨大な時間と経費をかけて鉱山の閉鎖と地域の汚染除去を行いました。 このように、統一後の諸問題の影で一般にはあまり知られていませんが、ドイツも低レベルの放射線汚染による深刻なヒバク体験をしているのです。しかし、意識の高いドイツの市民たちはチェルノブイリの汚染と重なるこの事実を良く知っています。

だからこそ、以前に紹介しましたようにフクシマの事故の直後から、ドイツ市民は連日、日本大使館や首相官邸前に三々五々自発的に集まり、静かに地震と原発事故の犠牲者に哀悼の意を表し続けたのです。 これらは大規模な反原発デモとは並行して行われています。そこで、わたしは多くの日の丸を見ています。そのいくつかを紹介しましょう。

これは3月14日の午後の首相官邸前での光景です。連日伝えられる津波とフクシマの報道にショックを受けた多くの親子連れの市民が、深夜まで哀悼のため集まっていますが、その中に日の丸を羽織り、ロウソクを手にした4歳ぐらいの少年の姿がありました。大人たちの表情もそうですが本当に深刻に静かに祈っているのです。
日の丸を羽織り祈る少年2011年3月14日ベルリン首相官邸前

それから1週間後の21日の夕刻には同じ官邸前の敷石の上に小さな日の丸があり、それに添えられた1片の紙には次のように記されています:

So wie Flügel einem Vogel gestatten zufliegen wirken wir mit der Kraft des MItgefühls für das Whol anderer
 「翼が鳥に飛ぶことを許しているように、わたしたちは共感の力をもって他者の幸せのために働く」

  文体とオブジェの構成形態からしておそらくひとりの芸術家によるものだとの印象を得ましたが、あえての直訳です。
「鳥に翼があるように人間には共感の力がある」と表現されています。これが震災の犠牲者とフクシマのヒバクシャへの日の丸を掲げてのメッセージです。





2011年3月21日ベルリン首相官邸前


日本でも最近になってようやく、右翼民族派の人たちが日の丸をかかげて反原発デモを行ったようです。
素晴らしいことです。脱原発には右も左もないからです。本当の愛国者なら至極当然の行動です。

これから日本でも次第に拡大するにちがいないデモにも日の丸を掲げて民族派のみなさんも合流してほしいものです。 そこで左派は彼らを排除すべきではありません。今日本が直面している危機は、全社会的なものであり、ヒバクシャは世界的な存在であり、危機の克服も世界的な規模の共感を得て初めて可能なものです。そのことが、ドイツではフクシマ事故の直後から日の丸を羽織った少年の姿に見ることができたのです。
日本の民族派のみなさんにも、遠いドイツの市民に日の丸をとっくに先取りされている事実を知ってほしいものです。

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