2011年5月3日火曜日

1:日本語の反原発ロゴとFUKUSHIMA



みなさま、福島第一原子力発電所の大事故が起こり、このプログを2011年の4月の初旬から始めたく思っていたのですが、今日になってしまいました。

タイトルの写真に使ってある反原発運動のロゴの旗には日本語で「原子力?おことわり」とあります。NGO、市民団体の呼びかけで3月26日に行われたドイツの4大都市での反原発デモで登場したものです。 上の写真が呼びかけのポスターですが「フクシマは警告する:すべての原発を廃棄せよ!」とあります。
この日、デモに参加した市民は全国で25万人であったと報道されています。わたしも参加したベルリンでは12万人の老若男女が、赤ん坊から年寄りまでの世代が一緒になって「原発を即時廃棄せよ」と声を挙げての大行進を行いました。

世界的に有名なこの反原発の ロゴは、当時の日本政府と同様に「原子力の平和利用/アイゼンハワー」という、おそらく「第二次世界大戦後史で最大の嘘」を信じ込んだヨーロッパ諸国が競って原発を建設していた1975年にデンマークで生まれました。
当時21歳の学生であったアンネ・ルントさんが、仲間と抗議行動の相談をしながら「台所で、ニッコリと微笑んでいる太陽をデザインした」との言い伝えがあります。彼女は最近の反原発デモの高まりで、メディアのインタヴューにいそがしくなっているそうです(Anne Lund atomkraft nein dankeで検索すると最近のインタヴュー記事などが多く読めます)。ちなみに、デンマークは彼女らの10年間の反対運動もあり1985年に原発から撤退しました。

その後、このロゴは各国語に翻訳され、世界中の反原発運動の象徴となりました。日本語のこれも、わたしの記憶では1980年代半ばにはすでにありました。当時の日本での反原発運動でも旗はなくても、バッチはかなりありました。ドイツから持ち込まれたものです。
ルントさんはデザインの著作権を行使しなかったので、今またルネサンスのように大量に再コピーされています。写真を見て「なぜドイツで日本語が?」と疑問に思われる若い方も多いでしょうが、これが、最近日本での原発事故を契機にたちまち復活した背景です。 

チェルノブイリ以来の大事故によって、残念なことにFUKUSIMAは HIROSHIMA、NAGASAKIにつづく第三の核被害の日本の地名となってしまいました。ポスターにある太陽は、嘆き恐れている表情をしています。ドイツ市民の大半は事故を、この罪深い人災を、他人事とは考えてはいません。自分の友人と家族の不幸であると感じています。

3月26日のベルリンの大デモの取材をしていたわたしはたまたま集会の前列にいた、古い友人に出会っています。下の写真に見られるベレー帽のクリスチャン君です。ヘッセン州のカッセル市近くの出身のわたしと同世代の彼の両親とともに、1986年であったと思うのですが、初めてドイツの最も古いヴュルガッセンという今では廃炉になっている原発へのデモに参加したことがあります。当時彼は14歳でした。その彼が今では立派な生物学者となり、40歳近いお父さんとなって、10歳になる娘さんと彼女の友人とともにベルリンまでやって来たのです。娘さんらが持っているロゴの太陽は、ルントさんが生んだオリジナルのままで微笑んでいます。

彼の家族に典型なようにドイツの反原発運動は、すでに三世代目です。しかも次第に強くなり、今では社会の中枢を占めています。「石の上にも三世代」とでも言えるかもしれません。
これを顕著に示したのが、このデモの翌日27日に行われた二つの州議会選挙でした。日本でも報道されたように、二つの州で緑の党が躍進し、バーデン・ ヴュッテンベルク州では、歴史上初めて緑の党の州首相が生まれたのです(注)。
それだけではありません、その後も世論調査では全国的に緑の党が躍進を続け、2013年秋の総選挙では、同じく脱原発を主張する社会民主党との連立で、緑の党の連邦政府首相誕生の可能性が現実性を持ってきています。
現メルケル首相の中道保守政権は、昨年の秋に原発稼働延長の法案を議会で強行採決し、今年から同法が施行されたとたんにフクシマの大事故が起こりました。大打撃を受けて、早期原発撤退への180度の方針転換を行いました。このアクロバットのようなメルケル首相の政治決断が(それを表明した3月14日の記者会見では、わたしも仰天したのですが)、しかし次期総選挙で功を奏するか否かは、今のところ疑問です。余りにも日和見であることを市民が見抜いているからです。

ただ、この夏中には、ドイツはおそらく2020年前後をめどにした、全原発廃棄とそれに伴う再生可能エネルギー推進の長期計画法案の議会決議を行うことは、ほぼ確実であろうということです。
これを、日本はもちろん、世界中が息を呑んで注目しています。世界第四位で、ヨーロッパ同盟で最大の経済力を持つこの国が、産業の基本であるエネルギー政策で根本的な改革に大胆に踏み出すことになれば、世界の原発ロビーにとっては大打撃であり、環境保護ロビーにとっては大躍進の契機となるからです。つまり時代を画する出来事になるからです。

さて、これを初めとして、いつ終わるとも知れないFUKUSHIMAの嘆きと恐怖が続く中で、安心と微笑みを取り戻そうとするドイツ市民と政治家の闘いと、さらには日本の原発政策批判を、ベルリンの現場から「覚え書き」として報告していきたいと思います。
特に専門知識は余るほどあっても、人間への共感を喪失してしまっている原発推進ロビーの専門家や政治家のみなさんにもその立場がいかなるものであるかを理解していただけるように、できるだけ分かり易く、かつ厳しく書く努力をいたします。「明日うらしま」の役割とはそのようなものとして考えているからです。

(注:『世界』は事故の前に「原子力復興という危険な夢」を2011年1月号で特集しています。昨年11月末執筆の同号へのわたしの寄稿「政権を揺さぶるドイツ反原発運動」で予想した緑の党州政権の実現は当たりました。しかし、それが日本の原発事故により実現するなどとは全く予想できず、実に痛く苦いことです。) 

 なを、このブログでの写真は断りのない限り、わたしの撮影したものです。無断の使用と転載などは固く禁じます。また記事での日付はすべて中央ヨーロッパの時間です。現在は夏時間で、日本との時差は7時間遅れです。





  







1 件のコメント: